ガイドブックに『サイゴン川の向こう側:サイゴン川のクルーズ乗り場近くからトーカルフェリーに乗ると、3分ほどで対岸に到着する。川の周辺は、観光客もめったに来ない昔ながらの住宅街、小学校や寺、雑貨店・・・などの建物が立ち並び、旅行者向けの施設はほとんどない。・・・繁華街の喧騒に疲れたら、ちょっと小旅行気分で訪ねてみたい場所のひとつだ』とあったので、朝から行ってみた。乗り場に行くと乗船は既に始まっていた。どこで切符を買うのか分からないまま、止められたらその時払えばいっかくらいの感覚で門の隙間から入って堂々と歩いて船に乗った。1階はバイクに乗った人たちがギュウギュウになりながら立っていた。
向こう岸に着くとまだステップも降りていないのに待ちきれない人たちがバイクを吹かすので排気ガスがすごい。船を下りてもお金を請求されなかった。無賃乗車で渡れてしまった。降り立ったそこは繁華街とは全く雰囲気が違う。道では果物や魚などが売られて青空市場のようだ。現地の人しかいない。標識もなくとりあえず歩くことにした。しばらくして後ろからシクロに乗った若い男二人に声を掛けられた。片言の日本語と英語で「この先には川があって寺があるだけ。何もない」と言って来る。ずっと同じペースでつけて来る。「絶対に乗らない。」と言っても、うっとうしいので立ち止まってもず〜っと横にピタッとついて喋りかけてくる。せっかく田舎でゆっくりと散歩したかったのに、うっとうしい男が二人もついて話し掛けてくるのでもう引き返すことにした。そしたら男は肩を竦ませて今までのスピードとは違って普通に自転車を漕いで元来た道を引き返していった。横道に反れて住宅街の狭い道をしばらく歩いてみたのだが、どこまでもくねくねした道は続くし、ドアを開けた家の中のおばちゃんと目が合うとすごく不思議そうな目で見られるので、もう探検は止めて戻ることにした。戻る途中、日本人とすれ違った。私達と同じようにシクロに乗った男に付きまとわれてうっとうしそうだった。雑貨屋で「OISHI」という怪しい名前のかっぱえびせんをお土産に買った。帰りはちゃんと1000ドン乗船賃を払った。
繁華街に戻って、『ケムバクダン』というココナッツアイスパフェで有名なカフェに行った。オープンカフェなのでのんびり街を眺めようと道路側に座った。すると物売りの男の子が寄ってきてライター等を売りつけてくる。やっと行ったかと思うと次は4歳くらいの物乞いの姉弟が両手を出してお金を求めてきた。周りは商店街なのでこの姉弟以外にもたくさん物乞いの子供のグループがいた。パフェが来ても姉弟は立ち去ろうとせずに手を差し出したままだ。無視をしながら食べたが美味しいはずのパフェは何の味もしない。ようやく姉弟が諦めて立ち去ってホッとしてると次は、下半身がなく板の上に体を置いて両手で地面をついてズルズルと歩いている少年がお椀を持ちながらやってきた。過ぎ去ってくれることを切に願いながらいると、そのまま立ち止まることなく去っていった。ベトナムに来てこの時が一番嫌だった。オープンカフェでは二度と道路側に座らないと心に決めた。皆さんならどうしましたか?小銭をあげますか?物を買ってあげますか?ホーチミンで物乞いの子供達に小銭を上げてたのは私の見た限りでは欧米人のおじさんだけでした。
昼から足マッサージが50分お茶付でたったの5ドルだというので行ってみた。話も弾み、マッサージも気持ちいいし、いい気分だった。ところが、途中でチップを書く紙を渡された。1ドルと書こうとすると「他のお客さんは3ドル以上は書いてくれた」と女の子に不満を言われた。手抜きにされたら嫌なので仕方なく3ドルと書いた。損した気分だ。
円からドルに両替しようと東京三菱銀行に行ったが出来ないと断られ、地球の歩き方に載ってた銀行に行っても断られた。教えてもらったキャラベルホテル近くの町の両替所(VIETNAM-EXIMBANK)で両替した。ガイドブックも当てにならない。最後の夜はリンさんに教えてもらった『PHO2000』で食べた。ここもオープンレストランで、道路に面した席に座ったカップルがやはり物乞いの子供にお金をねだられていた。ホテルに戻りバンで空港へと向かった。途中踏切があったのだが、電車が来ると駅員二人が遮断機をヒモで下ろしたり上げたりしてるのを見てビックリした。空港税は12ドルで払った。ベトナムではやはりドルは必要だ。
「ベトナムに行ってどうだった?」と友人に聞かれると「う〜〜〜〜ん」といつも返答に困る。でいつも答えるのが「食べ物はすごく美味しかった」だ。貧困の差が激しいのと戦争の傷跡がまだまだ残っているこの土地に、雑貨と食べ物を求めて来た私達は何なんだろう?考えなければならないことがまだまだ多い。次はハノイに行ってみたい。
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